『カンポサント』について 

 自分の作品の中でこれは異色のものだと思う。小説はもちろん現実そのものではなく、創作の上で成立するものだが、いくつかのポイントはできる限り現実に着地させてみようという意図があった。

 名前こそ変えてあるけれども、喫茶「水仙」は本当に自分の母の友達の店だし、霊感のある母の同僚の話も本当である。三重県庁に電話したのも本当のことで、県庁の方々は本当に真摯に対応してくださった。ありがとうございました。

 改めて意識したこともなかったが、育った三重県の方言についても調べて直した。母に会ったときには、その言葉を録音して、ちょっとした言い回しなど使えそうな言葉は使った。とはいえ、そういったものは作者のちょっとしたお楽しみのようなもので、本筋はそこの点にない。自分は一人の女性を書きたかった。書いておかないと忘れられてしまうような彼女の事を残しておきたかったのだった。

 

 書きながら作品がどうなるのか分からなかった。

 現実のレベルでは、自分は母の友人の店を探しながら、この話の結末をまるで想定しないまま書いていた。こういったことは珍しい。ただこの話は落ち着くべきところへ落ち着くだろうという予感はあった。

 もちろんこれは小説なので、全て本当というわけではない。

「ある種の物事は、あまりにも個人的過ぎて伝えられないということがある」

 と自分は書いたが、それは嘘ではない。何のフィルターもない描写は、主観的すぎる上に、それに関係する人を傷つける恐れがある。たとえ相手が死者だとしても、その人に関係する人は今も生活しているわけで、それは自分の望むところではない。

 ただ本当ではないとはいえ、自分がこうやって形にしておかなければ、あの人は消えてしまうと思った。髪の毛を派手に染めて、煙草を吸う女性というのは、少年時代の自分の生活の中ではほんとうに彼女だけだった。そして一人の女性が、現れ、死んだ、ということに対しても自分なりに何かしておきたかった。そういうわけで、これはとても個人的な小説ということになるのだろう。