6月発売予定の「彼方」について

「彼方」は6月に発売する予定だった作品である。

「千年比丘尼物語」で終わりだと思っていた歴史小説だったが、「彼方」を構想しているうちに、また中世日本が自分の中で広がりはじめた。従来の価値観が揺れ始め、日本が変わろうとする中世には、独特の魅力がある。

 とはいえ内情を伝えると、まだその改稿が終わっていないのである。正直に言うと進行の度合いは、まだ半分ぐらいという感じなのだ。終わり次第アップして販売したいと思っているが、まだその段階まで進んでいない。ちなみに値段は500円でいこうと思っている。

 販売するのだから、ミスがあってはいけないし、何よりもできる限り良い仕事をせねばならない。与えられた自分の人生を考えると、あとどれぐらい作品を遺すことができるのか分かったものではないから、やっつけ仕事ではなく「これが永井貴章の作品です」とちゃんと名刺代わりになるようなものを送り出したいのである。

 

 実際のところ、第一稿だけなら、書き上げるのに半年もかかっていない。しかしそれで終わりではないのだ。そこから完成までには何度目の改稿の必要がある。ある程度の時間を経ないと見えてこないものがあり、この時間が自分の作品にとっては欠かせない。時間を経て、おかしなところ、不自然なところが見えてくる。それを直す。何となくそれは発酵に似た感じである。時間が自分の作品の粗をあぶり出してくれる。

 スティーブン・キングが文章とは「一語一語の積み重ね」と言っているが、ずっと昔、それを聞いたとき、自分は目眩がするような気がしたものだ。

 感動してではない。ストーリーを書くのですらこんなにも面倒なのに、そのうえ語句を一語一語確認するだなんて、何て面倒くさいんだろう、と。巨大なやりなおしを命じられたときのような、あの気持ちは今でも新鮮に覚えているわけだから、よほど何か響いたのだろう。

 キングの忠告通りに、自分の作品がどれだけ一語一語にこだわっているのかは自信を持って断言はできないが、すくなくとも改稿する大切さは分かった。

 

 さて、その「彼方」がジリジリと発酵しているあいだ、自分は次の作品を書いていた。まだタイトルは未定だが、〈愛すること・音楽〉に関する作品であるが、これがかなりの長編になった。(今調べてみたところ原稿用紙にして750枚ほどになった)

 これの第一稿を書き終えたのが、6月11日で、そこから「彼方」の最終改稿に移ったというのが実情である。

 できるなら自分だって、早く出したい。反応があれば嬉しいが、それを最終目的にして制作するのは今の自分の目的ではない。

 朝の仕事前の限られた時間を使って、全て自分でやるしかないので、ジャケットの絵もまだ完成していないし、宣伝用の「試し読み」のアップもできていない。本文が完成していないのだから当然だが。

 これが仕事だったら納期に遅れている時点でひどいマイナスだが、何よりも一番はクオリティを上げることであり、良いものを送り出すことであると思うので、もうしばらく待って欲しい。

 作品のゴールはもう目前なのだ。

 

 あの作品には今の自分のできる限りのものを書いた。いつもそのつもりだが、嘘や作為は作品には込めていない。何かを創る人間からすればもっともシンプルで、なおかつ恐ろしいことだと思うが、読んでくれた人間を感動させたいのである。

 自分には編集者もいないし、アドバイスしてくれる人もいないから、武器といえば作品と、ここのブログしかない。今の文芸のトレンドも知らないし(知っていても、それに合わせて小説を書くという真似はしたくない)、売り込む方法も分からない。値段は500円としているが、それが一般市場で高いのか安いのかも知らない。ただそれだけの価値はあると思っているからこの値段なのである。

 誰かに作品が届き、それが感動するものなら自然と広まる、とその一点に賭けている。

 じきに出る「彼方」が読んでいるあなたに届けばいいと思っている。琴線に触れたい。

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