最近の活動について
自分ではついこの間のことに思えてしまうのですが『彼方』の発表から3ヶ月も経過しているのです。今は集中して短編を書いているというのが、朝の自分の日課になってます。たぶん50枚ほどの短編を、それ自身が求めるだけいくつかまとめて書いてみようと考えています。今これを書いていて気づいたのですが、ちょうど3ヶ月前に、まだ未発表の長編の第一稿を書き終えています。
いま引き出しの中で(正確にはパソコンの中ですが)眠っているこの長編は、書くのに一年程かかりましたが、自分にとって大事な作品です。
その長編に取り掛かっているあいだ、ずっと長編のことばかり考えていたかというと、そうではなく、別の方向性を持った作品が浮かぶこともあります。自分の場合、実際に使えることは多くはないのですが、いくつかの断片的なイメージがあって、そのうちのいくつかが短編になりそうです。基本的に自分が自分のページにアップしているのも長編ばかりなので、ここで短編を載せるのもいい機会に思えます。
半年ほどのんびり待っていてくれると嬉しいです。
もちろん月二回のエッセイの方は普通に続けますが、次回の自作の販売はおそらく短編集になると思います。そのうちのいくつかは無料でここで公開する予定です。
テーマは何も決めていません。今から数ヶ月ほどの期間を掛けて、自分の中から出てくるものを書くつもりです。その短編の仕事が終わったら、寝かせている長編の改稿と修正に入るというのが自分の考えている段取りですね。
自分の活動は商業誌に載せているわけでもないし、本当にひっそりとしたものです。派手な宣伝もしていません。というか営業活動もまったくしていません。知ってほしい、読んでほしい、という気持ちはあるには、確かにあるのですが。
もしも、世間に出した自作が良いものであれば、その人が誰かに紹介してくれるかもしれない。本当に良いもの、面白いものを人は放っておきません。それは作品それ自体の力できっと広まっていくでしょう。
それがどうなるのか先などまったく見えませんが、自分はこの時代に逆行して、自分の作品それ自体の力に賭けようと決めました。
音楽ならもっと簡単に広がるんです。自分は以前、音楽活動をしていましたが、ネットにアップすると本当に簡単に世界に届くんです。スウェーデンのバンドが自分たちの曲をカバーしてくれたり、アメリカ南部の人が自主制作のCDを購入してくれたり、それはそれで面白かったですね。
小説というものはその反面、言語を扱うわけですから超えにくい。細かな言葉のニュアンスを伝えるのも難しいし、時間もかかるし、その労力も本当に大変です。
まだ大学生で自分の生活に時間の余裕があったころ、フォークナー、ティム・オブライエン、それとガルシア・マルケスなどの作家の短編を訳してみようと頑張ったことはあるんですが、もう本当に「なんとか日本語にした」という程度でした。
できたら海外の人に、自分の作品がどう伝わるか、という反応も気になるわけなのですが、この言語を超えることが難しい。誰か日本語と英語のできる人が翻訳してくれたらなあ(自分ではやらない)、と勝手な夢を抱いたままです。
もしかしたら、このまま埋もれていくのかもしれない。データ上に自作が残りますが、それは発見されないまま終わってしまうのかもしれない。
ですから永井貴章という人間に気づいてくれて、これを読んでくれているあなたがいる、という事実には本当に頭が下がる思いですし、見つけてくれた縁というか、そのはたらきに感謝します。作品の中ではそういったお礼は言えませんので、自分にできることとしては、人の心に届くような作品を作りたい、とそれだけです。
とりあえず小説を書いている最中に、ついつい音楽レビューやら、服やらのページを見て気を逸らせないように努力したいと思ってます。がんばりやーす。
なんだか小学校の反省文のようですけど、以上が近況でございます。