新しい自分の可能性なんて

 午前中に時が空いた。

 本当なら仕事に出ている時間だが、ふいに三時間ほど自由になった。

 といっても時間は朝の8時過ぎで、ほとんど店はまだ開いていない。それは想定済みだったから、自分はモーニングサービスのあるカフェに入った。できればそこで本を読もうと考えていたのだ。どうでもいいことだが、本は吉田健一の『金沢』である。 

 

 たまさか席に着いたテーブルの隣では、たぶん30歳前の男女がテーブルを挟んで話し合っていた。単なる恋人同士の会話かと思いきや、漏れてくる会話の内容を聞くにつれて、これは何かの勧誘だと分かった。

 女性の方がときどきテーブルに置いたタブレットを取りだして、何か言う。そのたびに男性も身体を少し乗り出して、のぞき込む。その時々で「コーチング」とか「リピーター」とか「PDCAサイクル」とか、普段の自分の生活では余り聞き慣れない単語が彼女の口から発せられる。

 どうも彼女の方はオンラインでの会員制講座を彼に説明しているようだ。女性の方は将来マーケターになりたいという夢があるらしく、販売戦略とか、運営とかそういった方面に関する単語がポンポン出てくる。ショートカットにした髪の毛と、中指の根元にはめた細い指輪が印象的で、喋り方は決して弾むことはなく、ゆっくりと説明するように喋る。

 相手の方の男性は彼女よりも長い髪の毛で、伸ばした前髪でほとんど目が隠れている。現在二十八歳で、大学入学を機に地方から出て来て、今の仕事を続けている。収入は正直、年で三〇〇ぐらいです、と彼は彼女に伝えていた。 

 

 どうも会話は彼女の方に主導権があるようだ。彼女は続けざまにあれこれ彼に説明していく。オンラインの会員になると色々と学べる。カメラだとかWEBデザインだとか、ライターだとか色々と。

「何か回し者みたいですね」何の気なしに彼は言う。

「回し者?」とちょっとむっとした感じで彼女は聞き返す。

「いや、勧誘は嫌いじゃないです。強制的に入れ、というのじゃないですよね」

「そりゃもちろん」と彼女は言う。「もちろん。有料のはわたしもしてませんから」

 男性の方は、女性に気があるのか、時々を褒める。

 髪型がよく似合っているだとか、自炊するのはすてきな女性だと思うとか、でも、彼女はそれを適当に聞き流し、自分個人の話はあまりしない。そうして男性の方が熱を込めて話し始めると、彼女は目を閉じながら「うんうん」とうなずく。 

 ふたりの間の会話は常に敬語だ。  

 彼女のやり方は実に戦略的だ。彼の話を聞き、否定することなく、控えめに、自分の望む方向に持っていく。

 やがてモーニングセットが届く。二人とも食事を始める。視線だけは彼の方に向けたまま、彼女はコーンをトーストに塗り、彼女はパンを結構口いっぱい頬張るようにして食べる。その食べ方がちょっと自分は気になる。丁寧な彼女の話し方の方は嘘で、こちらの方が本当なんじゃないかと思ってしまう。

 

 こう言った会話、よくないことと思いながらも、たまに聞き耳を立ててしまう。 

 前にラーメン屋に入った時も、隣のテーブルの男子大学生らしき二人組が

「カップラーメンでも、天然水で作れば全然味が違う。天然水だと老廃物も出るし、それは証明されている!」

 と、コップの水道水を飲みながら、熱く語っていたが、人間は本当にいろいろなことを好んで話す生き物であると思う。 

 

  勧誘している内容自体には興味は無いが「勧誘する」という行為に興味がある。『金沢』を開けながらまったく頭に入らない自分がいる。

 彼女は彼に何を求めているのだろうか?

 彼の方は彼女に何を求めているのか?

 それはさておき勧誘は続いている。彼はおそらく人生の上において「何か」を望んでいる。今よりも高収入で良い何かを。彼の方はそこに少しだけ「女性」を意識しているが、彼女の方はきっと完全に今仕事モードになっていて、そういう方面には全く反応しない。彼を参加させることが彼女にとって何かのプラスになり、夢の達成のためのステップになるのだろう。 だから彼女はゆっくりと時間をかけて、彼を望む方向に持っていこうとする。

 

 常識的に考えて、良い話があれば、基本的には人はそれを漏らさない。既得利権をわざわざ他人に晒して、それを平等にわけあたえようとするよりも、誰にも言わずにこっそりとその恩恵に預かる方が残念だが人間らしい。 

 今こうして、自分の隣で知らない者同士が、情報を提供するにはその背景に何かがあるに違いないのだ。自分だったら、彼女が彼を引き込むことで、その上の一握りの誰かが得をするようなシステムを作る。ネズミ講と昔は呼ばれた方式だ。

 エサは「学ぶこと」「変わること」

 

〇 学ぶことについて

  でも、普通に考えればカメラマンでも、ライターでも、数ヶ月でなることができるはずはないのだ。どの職業であれ、ものになろうとすればそれ相当の時間を必要とするし、そのすべてを手に入れられるほど人生は長くない。

 だから求められているゴールはそこまで長期的な視野のものではなく、ちょっとした小遣い稼ぎになれば儲けものという程度の準備というか、そのためのオンライン講座なのかもしれない。コンビニで売っている「一〇分で分かる〇〇学」的な。

 

〇 変わることについて 

 しかし自分が変わることは魅力的だ。

 知らなかった新しいことに足を踏み入れること。 聞き慣れない単語や、知らなかった世界は、それが未知であるがゆえに、もしかしたら何かあるのではないか、と期待を投資できる。

 結局のところ、たかだか100年200年では人の本質は変わらない。

 人は侮辱されれば腹を立て、約束すれば守ろうとし、利益があると分かればそれを獲得しようとする。その根本のところはやはり同じだ。

 定住する家を持たずにサブスクでホテル暮らしをするだとか、ノートパソコン一つですべての仕事がこなせるとか、そういった「新しいこと」の先にはきっと、それをしてもやはり消し去ることができない「面倒くささ」や「人間らしさ」が生じる。

 それは細かなお礼のメールだったり、相手からのクレームであったり、勘違いであったり、気遣いであったりするだろうが、そもそも人間を相手にしているのだもの。仕事先の人間全員が、最先端の考え方をしているわけはない、と自分は信じる。

 すぐに変わるものは、またすぐに戻る。

 人が変わるというのはもっと自然に、時間がかかるものだと思う。

 

  そういうわけで、隣のテーブルの勧誘の先には、彼が期待しているものがあるのか、あるいはその途上で何かを失っていくのか、そればかりはそのひとの運命だから分からないし、そこはどうでもいい。

 

「それじゃあ場所を変えて、もう一回話し合ってみましょうか」

 とうとう一時間近くも聞いているうちに隣のふたりは席を立ってしまった。

 ふっと横を向くと、色白の禿頭の中年男性が自分を見ていた。ばっちりとまっすぐ。

 瞳孔開いたまま、メガネの奥の目を優しく微笑ませながら 

「隣のテーブルの話、えらく熱心に聞いていたね。僕もね、そんな君のことずっと見てたよ」と言わんばかりににっこりと微笑んだ。 

 うわああ。 

Previous
Previous

思いがけず

Next
Next

わたしをみる「私」 について3 ~自己観察する「私」について