どこにも「ない」わたしたちのこと そしてこれは父ではないし、父はこれではない Nowhere “is” us, and this is not the Father, and the Father is not this.

　８月１５日が来たので母は朝から忙しい。母は、ぼくらよりもひとり早起きして、朝から髪型を整えている。ぼくらが起きたときには、リビングは母のヘアオイルと化粧品の匂いに満ちていた。そんなふうに母がいつもよりもずっと丁寧に身支度をしているのは、今日が彼に会いに行く日だからだ。

　終戦記念日だという。戦争が終わって今日でウン十年になる、とテレビ画面の中から自動音声のニュースキャスターが伝えていた。どのチャンネルに変えてみても、今朝はどれも昭和天皇の玉音放送の映像ばかり流れていた。

　普段そんなに会いに来ることもなかったくせに、父さんがいよいよ危篤ということになると、すみれおばさんは父さんのベッドの脇にくっついてずっと泣いていた。おばさんは、父さんを食べるような勢いでベッドに覆い被さって離れてくれないので、その傍で立っているぼくら家族の方がなんだかお客のようだった。

　痛み止めの麻酔のせいなのか、父さんからはもう反応はほとんどない。たぶん父さんはもう別の世界を見ている。痩せた父さんの身体からは、甘く腐ったような尿の匂いが広がっていたが、もう何時間もこの病室で待機しているぼくらは、すっかりそれに慣れてしまって、父さんが失禁していたことも気付かなかった。

　午後、皆が見守るなかで父さんは一回大きく息を吐いた。それからぐるっと目を回して、それで動かなくなった。それで終わった。それがぼくらの八月十五日だった。病室の窓の外で、解除を解かれたようにセミが一斉に鳴きだした。

　あれから一年が経ったことを思いだしながら、ぼくはゆっくりと朝食を済ませた。弟のほうは「ごちそうさま」と言ったというのに、また冷蔵庫を開けてヨーグルトを食べだしたので鏡の前で眉毛を描いていた母がそれに気付いて急かした。

「もうご飯終わりにして。時間もないんだし、なにか食べたいんだったら、歯磨きと着替えを終わらせてからにしなさい」

　行く途中、電車の中で弟がぼくに変な事を訊ねてきた。この前、児童館で見つけた絵本のなかに意味が分からないものがあったという。

「その文覚えてる？」と聞くと、弟は目を宙に向け、その空中の文字を辿るように答えた。

「ソシテ　ヤジロウ　ノ　タマシイ　ハ　ソラ　ヘト　アガッテ　イッタ　ノ　デシタ。ソラ　ニハ　ニジ　ガ　カカッテ　イマシタ」

　そして「〈たましい〉ってなに？」とぼくに訊ねた。

　電車はゆっくりと進む。母はいつの間にか向かいの席で目を閉じて寝息を立てている。

「あのな、昔の人は身体の中には魂というものがある、と思っていたんだよ。ふわふわした風船みたいなものかな。人が死んだときに、その魂だけが抜け出ると信じられていたんだ」

「それなら知ってる」と弟は言った。「エジプト神話。死んだあとで天国に行くか地獄に行くかだろ。お兄ちゃんが行くのは地獄だ」

「ないよ、魂なんて」とぼくは穏やかに言った。慣れない電車で弟は少しイラついているようだった。ぼくは弟の丸まっちい手に自分の手を重ねる。その指のつけ根には小さな窪みがあり、もしかすると水滴すら溜まりそうだ。

　ぼくと違って弟の肌はきめ細かく、色も白い。これは母に似た点だ。やや色黒なぼくは、どちらかという父さんに似ていると思う。ぼくは弟の手を撫でながら注意する。もう何度もぼくが言い続けてきた言葉だ。

「なあ、おまえ今日は変なコト言うなよ」

〈再会センター〉はいつも明るくて清潔だ。オレンジというのか、マンダリンというのか、とにかく柑橘類の良い香りがしているし、玄関のフロアは顔が映るぐらいピカピカに磨いてある。スニーカーではなく、革靴を履いてこのフロアを歩いたら間違いなく踵から心地よい音が響くだろう。高級感、というより、必要最低限で何も置いていないこの清潔感が好きだ。うちの家は母の服やカバンや化粧品でごちゃごちゃで、それがリビングまで溢れているから、ここに来るたびに余計にそう思う。

　今日の部屋は４６７号室だ。エレベータに乗って、壁に掲示された矢印を頼りにぼくらは長い廊下を歩く。足首まで埋まってしまうような分厚いカーペットは、ぼくらの足音を消してしまう。代わりに邪魔にならないような静かな音楽が流れていて、ここでも受付と同じ香りに満ちている。ぼくと弟は母の後をついて歩く。今日の母親は香水の匂いがちょっときつい。受け付けに名前を記入しているときからずっとそう感じていた。

　やがて角を曲がった先の部屋で母が足を停めた。ドアの前で母が指をかざすと、静かにドアが開いた。

「やあ、来たんだね」

　黒張りのソファの上に座って彼はリラックスした様子でぼくらを迎え入れる。足を組みながら、少し身体を斜めに傾けて、頬を手の平で支えている。それはぼくもよく知っている父さんの姿だった。日曜日の朝に父さんの部屋に行くと、父さんはすでに服を着替えていて、ぼくをそんな感じで迎え入れてくれたものだった。

　本当に彼は少し前まで本を読んでいたという風に見える。事実、テーブルの上には父さんのものだった本が置いてあるが、これは実物だ。手に取ってぼくが読む事もできる。この部屋にあるいくつかのものは、家からセンターに預けてあるものだ。

「座って座って。飲み物はそこから好きにとってくれて来ていいからね」

　彼は冷蔵庫を指さして膝の上で手を組む。その仕草も父さんの癖だったと思うのだが、正直なところよくわからないところもある。センターで彼と面会するたびに、ぼくの記憶はどんどん更新されて、一緒に暮らしていた頃の姿が浸食されていく。

「いつぶりかな？子どもたちはなんだか大きくなったな」

　目の前の彼は、ぼくが中学生になり、弟がもうすぐ十一歳になることに驚いている（ように見せかけている）が、それに対してぼくは返事をしない。弟に関しては彼に興味すら持たない。弟は適当なソファに腰を下ろすと、持ってきたタブレットの画面を開けて、勝手に動画を観始めた。最近はプリント基板実装の製作過程を撮影した動画が弟のお気に入りだが、他にもプログラミングのものとか、パソコンの分解動画とか、放っておけば、そういうものをずっと見ている。

　母がお茶を用意しているあいだ、ぼくは部屋の中を歩き回ってあれこれ点検してみる。ちょうど旅行に出て、宿泊先のホテルの部屋についたばかりのように。棚を開け、ソファの堅さを確かめ、冷蔵庫の中のジュースを取り出して、そんなに飲みたくもないけれどもペットボトルに口に付ける。

　湯飲みにお茶を二つ用意して、彼の前に置いてから母が気付いて笑った。もしかして本気だったのかもしれないが、その素振りはなんだかつまらない冗談みたいに見える。

「あら、ごめんなさい。あなたの分まで用意しちゃった」

「ありがとう。それ、ほうじ茶だね。違う？あとでいただくことにするよ」

　それから母と彼の時間が始まる。この時間はぼくにはちょっと居心地が悪い。彼と話すときの母の表情や態度が、正直、父さんが生きていた頃にも見なかったようなもので、それが何か違和感を感じさせるのだ。まだ父さんが生きている頃には、母は「お父さん」と呼んでいたはずなのに、いつのまにか彼のことを名前で呼んでいることに気付いた。

「この前ね、仕事の帰りに音楽聴いてたらね、二人で聴いてた曲がたまたま流れたのよ。そんなの滅多にないことなのに。覚えてる？「サークル」って曲。これ、拓真が教えてくれたんだよ」

　彼は頷く。覚えているよって身体をのけぞらせて笑顔を浮かべる（嬉しそうに見えるように動作する）。

「ユズキも言ってたけどさ、この歳で転職となるとやっぱり難しい面もたくさんあるね。上司は何も教えてくれない不親切な人だけど、でもわたし、なんとか頑張ってる。わからないことがあれば自分から聞きにいけばいいだけだし」

「ユズキさんね……いまは何してるんだっけ？」

「ずっと医療系の出版社の仕事してるわ。前にも言わなかった？」

「ああ、そうだったね」

「拓真も一回だけ会ったことあるよ。前に映画館に行くとき電車で一緒だったあの人」

「うん、思い出した」

　端から見れば仲のよい家族が、どこかの部屋でくつろいでいるように見えるだろう。でも、決定的に違うことがあって、父さんはすでに死んでいるし、いまぼくらの目の前にいる彼は生前のデータを移行した存在でしかないということだ。

　こんなとき本当の父親だったら、いまぼくら子どもの不機嫌さに気付いて母との話題を別なものにするかもしれない。けれども人工知能の父親はこちらには気付かずに、母との会話を続けている。母の話から情報を集め、会話がもっと自然なものになるように記憶を集積している。

　この人工知能は巧妙だ。決して忘れはしないのに、ごく自然に、忘れたように振る舞う。母はそれに気付かずにまた話を繰り返し、データはより正確に再構成される。こんなものを発明した奴をぼくは殴りたいと思う。そいつはきっと今の母の様子を見て、ほくそ笑んでいるに違いない。

　そしてたぶん母は受け入れている。この延長線上の父親を。

　少なくともぼくが生まれた時にはこんな風習は無かったはずだ。それがいつの間にか大人たちのあいだで死者のバックアップというサービスが現れるようになり、そこから墓参りの方法が変わってきた。名前を刻んだ墓石の前に立つよりも、実際に死者と対面できる方が悲しみも和らぐ。この新しい風習は、最初のうちこそ抵抗があったかもしれないけれども、周りにそれを受け入れる人が増え始めると、やがて普通になってきた。

〈再会センター〉は死後に残ったデータをもとにして新しく死者を再生する。普段の生活を写した写真データがある程度あればよいし、録音した動画が一番だ。また、何を買い、何を使うかでそのひとの個性が現れるというが、手書きのノートや愛用の品などがあればもっと再現の解像度は上がる。見た目だけではなく、話し方や動きの癖まで含めて、その再現技術は実際にたいしたもので、目の前にいる父親は本当に生きているみたいにみえる。

　ぼくらと家にいるときには母は愚痴をこぼすことなかったが、その面会の一時間半の間、母はほとんど彼の前に座り詰めで自分のことを話し続けていた。きっと母は母で、新しく就いた仕事について思うことがあるのだ。溜まり続けたその感情をどこかで吐き出さないとバランスがとれないぐらい、大人が働くというのはもっと緊張感のあるものなのだろう。

「でも頑張るからね。仕方ないもんね。拓真もわたしのこと応援しててね」

　うなずく彼の前で、母は指先の色が変わるぐらい、何度も自分の細い手をきつく握りしめては開いていた。手の甲に鳥の骨のような、細い母の骨が浮かんでいた。

　弟はずっとタブレットから目を離さない。タブレットの画面の光がチラチラと彼の頬に反射していたが、弟はまったく姿勢を変えずに椅子の上で集中している。なにかそういった置物のようだ。ぼくはといえば部屋の観葉植物を眺めたり、二度ほど母に割り込んで彼と会話してみようと試みたりしたけれども、すぐに飽きて、そっと部屋を出た。さっきからずっとジュースばかり飲んでいたので、尿意が湧いていたのだった。

　センターの廊下は来た時と同じく、まったく時間を感じさせないものだった。手触りのよい乳白色の壁紙を撫でながら、ぼくは格子柄のカーペットに点々と落ちているライトを踏むようにして廊下を進んだ。

 　通路奥のトイレで用を済ませても、まだ帰る時間まで半時間ほどかかりそうだった。本来なら廊下に出てそのまま部屋の方に戻るべきなのだろうが、ふとぼくはその反対側の廊下に行ってみようという気になった。両側に部屋番号のプレートが並ぶ、同じような風景を更に進むと、やがて突き当りに出くわした。面会室とは別の、装飾のないそ灰色のドアがそこにあった。ノブに手を掛けると難なく扉は開き、いきなり世界が変わった。

　ドアの先は、むき出しのコンクリートの壁が広がっていた。照明もぐっと下がり、ほの暗い通路の先にガラスで囲まれた部屋が見えた。

　最初、そこは黒い壁に囲まれた部屋のように見えていたのだが、じきにそれが間違いだと気付いた。壁だと思っていたのは一面連結されたスーパーコンピュータだった。大型のハードディスクの中で緑と赤色のランプが規則的に点滅していた。この施設にとって、この設備はとても重要なものに違いないのだが、セキュリティという点ではかなり不用心だった。そもそもコンピュタールームのガラス戸には鍵すらなかったのだ。ぼくは息を潜めながら、もっと近くでコンピュータを眺めた。何か大きな生き物を前にしたときのような気持ちだった。

　黒いボックスの中で、規則的に並んだ各パーツが稼働する様子は、学校で見た細胞を連想させた。全体的には大きな固まりだが、一つ一つは低い振動音のようなうなりを立てながら、何かの処理を続けている。この施設の死者たちはこのコンピュータによって管理されているというわけだった。

　機体に手を触れることもしなかったし、実際そこにいたのも五分程度だったに違いない。ぼくはすぐにその部屋を出るなり、暗い通路を走り抜けて、もといた来客用の廊下に戻った。そのときになって、何の気なしに自分が開けたドアの上に〈関係者以外入室禁止〉と書いたプレートが貼ってあることに気付いた。こんなにも大きく書かれていたのに、まったく見えていなかったのだった。

　部屋に戻ると、そろそろ母が会話を終えそうな様子だった。

「タクト？どこに行っていたの？もうすぐ帰ろうと思うんだけど、あなた、お父さんと話はしなくていいの？」

「別にいいよ」とぼくは答えながら彼の前に立った。

「そうだ、父さん。母さんの今日の香水分かる？」

　母が嫌そうな顔を浮かべたのが分かった。

　彼はそれに返事しなかった。笑顔を浮かべた曖昧な表情がわずかに変化した程度だった。

　五限目の歴史の授業のあと、ぼくは先生にくっついて質問をした。先生は点検簿を胸元に抱えたまま廊下の前で足を停めてくれた。

「うーん、魂ねえ」と先生はうなった。

「こんなの聞いてくれるのは先生だけだと思ったから」

「タクトが知りたいのは、人間には本当に魂ってものがあるかどうか、ということだね」

「そうです」

「あのね、魂というのが人間の中に存在するものではない、とわかったのはそう昔のことじゃないんだよ。古い歴史を言うと中世ヨーロッパでは神様が存在すると思われていた。神さまが世界の中心で、人の魂も神さまの領域だった。人は死んだら魂が天国に行くのだとみんな信じていたんだ。でも近代化の始まりとともに人は神さまを必要としなくなった。というより、神さまの役割が変わったんだね。そうなると人の魂はどうなるんだろう？だって今まで天国でも浄土でも地獄でもいいけど、最後にはそういう世界に行きつくはずだった魂はどこに行けばよいんだろうね？」

「分かりません。そもそも魂なんてものが無いという考えた方が理にかなっているような気もしますが」

「そう、そういう考えの人が増えてきた。あるいは神さまの時と同じ構造になった。神さまも魂も、今までそう考えられていたような、絶対的な当然のものではなくなって、一部信じてる人のものになった、と言った方がいいかもしれないね」

「魂はない。じゃあ代わりに人は何を信じていたんですか？」

「それだね。そこから人はこう考えた。神さまも魂もなくても、人には〈わたし〉があると思っていた。深層心理とかいう言葉もあるけど、本当の〈わたし〉がどこかに存在していると思っていた。まあ、そういったずっと存在する人格？のようなものは、最近じゃ否定されてきたけれども」

　そのあたりでチャイムが鳴った。先生もぼくもいつの間にか休み時間が終わっていたことに気付かなかったのだ。先生は慌ただしく職員室に戻ると、次の授業の用意をして戻って来た。ぼくもその横について、歩きながら話を続けた。

　先生は言う。

「いまチャイムが鳴ったからぼくらは急いでいる。それは教師と生徒は授業に間に合うべき、というルールがあり、ぼくらはそれらに従うように、ほとんど無意識に対応しているからだ。ぼくは人格とはこういうものだと思うね。つまり外の情報に対して振る舞いを見せるそのパターンじゃないかな。実際、五歳の君と今の君は同一人物とは言えないだろ？そしてもっと歳をとって……例えばいまから五十年後のタクトは今とはほぼ別人になってるのは想像できるよね。そのときにはまた別のパターンの行動反応を示していると思うよ。要するに、ひとはずっと変化し続ける。同じものなんてない。実際、ひとに通底するものなんて名前ぐらいじゃないかな」

「じゃあ、いま〈再会センター〉でやっているような、死んだ人を復活させるということは、その生きてるときのパターンを再現しているということですか？」

　この先生は好きだ。たとえばぼくが死んだ人の話をすると、他の教師たちはちょっとひるんだ態度を見せる。それはぼくの父さんのことを知っているからだ。彼等はそこに踏み込みたがらない。ぼくが過度に傷つくことを恐れているのだ。もっというなら、ぼく個人ではなく、ぼくの母からクレームが来るような事態を避けたいと思っている。だが、この社会の先生は一切そういった態度を見せないのが良かった。単に鈍いのかもしれないが、別にそれでもいい。

「そうなるね。いまぼくらが、こんな話をしながら感じている〈わたし〉のような実感は、おそらく死んでしまったら消滅する。だって感情を動かそうにも五感の機能は無いし、思い出そうとしても記憶している脳はもうないんだもの。そういった意味で魂、というものを捉え直すとすれば、それはいまこの五感で感じている実感のようなものなのかもしれないね。でも、そのひとの行動パターンがバックアップされていれば、ある程度の再現はできるかもしれない。その意味では生き続けることは可能だ。なんか変だけどね。まあ、どれぐらい生きているときのそのひとの情報を吸収して処理できるか、それによって人格はまた変わるだろうけれども、基本的には俺はそれは言葉と同じだと思ってるよ」

「言葉ですか？」

「ほら、偉人の言葉ってあるじゃない。『人はその敵を許すべきである。ただし、その敵が縛り首になってからだ』とか。言葉はそのひとの考えを表すけれど、ある意味その人の人格を再生する装置でもあったんじゃないかな。ひとは消えてしまう死者の人格や姿をなんとか残そうと試みて、書物や肖像画や彫刻とかを残すんだと思う。そういうわけで、いまのバックアップはそのリアル度の高いものだと俺は思うよ。でも、本質を言うとそれはやっぱり死んだその人そのものではない。そこには可塑性はあっても可変性はない」

「かそせい、かへんせい？」

「人は変わる。さっきも言ったように、それこそ外部要因で好き勝手に変わる。でも、バックアップされた記憶はそこまで大きく変われないんじゃないかな。それが弱点。つまりは極端な意見を言うと、それは予想内の人格に収まる、という点でやっぱりその人個人とは言えないんじゃないかな。人工知能は、周囲の人に対する情報は増やせるかもしれないけれども、それこそ五十年後のタクトのように、いまよりも経験を積んだ賢い老人にはなれない。そこじゃないか？」

　変化、ということを先生に教えてもらってから、ぼくは少し考えが変わった。もしかしたら〈再会センター〉のシステムを作った人も、これはいつまでも続くような関係を作り上げるものではなく、身近な者をなくしたその悲しさを一時的に癒やすためのものでしかないとわかっていたのかもしれない、と思うようになった。

　人は変わり、何にでも慣れていく。センターから帰ってきて数日の間は、もしかしたら不法侵入で連絡が来るかもしれないとぼくは怯えていた。が、何もないと分かると、もう平気になった。そこからさらに二ヶ月ほどの間に、ぼくらの周囲はさらに変化した。

　母に彼氏ができた。もう最近では母は父さんのことをなにも口にしなくなって、代わりに普段聴かない音楽を流すようになったり、帰りが遅くなりはじめた。そうしてある週末にとうとうその人と一緒に中華料理のレストランで食事することになった。

　鬚のそり跡の青い、泣いたような目をした中年男性だった。市内の図書館で働いているというが、確かにそんな感じだ。真面目だけが売りで、ウンターの奥でずっとパソコンに向かい合っているうちに一日が終わるような、そんな大人。

「話は聞いてるよ」と図書館員は言った。「タクト君は数学が得意なんだろ？もしも君がＫ高校に進学したいというのなら、僕も協力できるかもしれないよ。あそこはいいよね。大学があるからずっとエスカレータで行けるし、就職にも強い。実は僕の知りあいにもあの大学出身者がいるけれども、いまは銀行の支店長をしているよ」

　男の隣で母が含み笑いのような表情を浮かべているのを見て、ぼくは自分の耳がかっと熱くなるのを感じた。そのまま水のグラスをテーブルに叩きつけてやりたい気分だった。ぼくがＫ高校に進学したいことは母以外に言っていなかったはずなのに。私立高校だから、お金の問題もあるけれども、今のぼくの成績からすれば余裕という学校でもない。

　たぶんぼくの機嫌が悪くなるのもふたりには織り込み済みなのだろうが、口数の極端に減ったぼくの出番はもうそこで終わり、やがてウェイターが次々と皿を並べはじめた。

　始まりは最悪だったが、図書館員にはそれでも良いところもあった。彼は弟の事を聞いても馬鹿にしたり無視したりしなかった。それどころか彼は弟を褒めさえした。

「いや、もしかしたら特別な才能があるんじゃないかな。何かに特別に秀でた人間ってのは、普通とは歩みが合わないものなんだ」

　スティーブジョブズ、ピカソ、ガロワ、カミーユ・クローデル、南方熊楠など、図書館員はぼくの知らない人の名前を次々に挙げて、彼等がいかに特別だったか、独創的な人間だったのか、ぼくに伝えた。具体的な内容は理解できずとも、彼が弟の事を認めようとしていることは分かって、それで少し許せる気がした。

　その食事会の一週間後、弟の所に図書館員からプレゼントが届いた。弟が欲しがっていた上位モデルのノートパソコンだった。ぼくにはかなり身分不相応な黒色の革靴だった。

　ひとりで〈再会センター〉に行くのはそう難しいことではない。むしろ気持ちの方が問題だった。緊張しながらもぼくは電車を乗り換え、途中、住宅街の長めの坂道をのぼって、センターに向かった。もうすっかり冬だった。坂道を歩くぼくの息は白く濁った。家を出るときは決心してきたはずなのに、受付で自分の名前を記入するときになっても、これがぼくにとって良いことなのかどうか、答えのない思いにまだ迷っていた。

　今回は６１１号室だった。事情は分からないが、部屋に置いてあるものは同じなのに、場所だけが変わる。

　彼はいた。前に見た時とは別の格好だったが、この服にはぼくも見覚えがあった。襟のないエンジ色のカプリシャツで、休みの日には父さんはよくこれを着ていたのを思い出した。

「あれ？今日はタクトひとり？」

「うん」とぼくは答えた。「ぼく、どれぐらい来ていなかったかな」

「うーん、どれぐらいだろう」

「本当は覚えてるよね。教えてよ。ぼくは本当に聞きたいんだから」

「三ヶ月と九日だよ」

「日数なら？」

「九十九日」と即座に彼は答える。

　今日、ぼくは彼が座っているソファに並ぶようにして座った。彼は真面目な顔つきになって、こちらに顔を向けた。

　ぼくはしばらく何も言わずに彼を観察した。呼吸に合わせて彼はゆるやかに肩や腹を上下させている。そして時々姿勢を変えたり、瞬きをしたりもする。

　こんなことが昔あった気もする。ぼくが何か失敗をして母に怒られたときなど、父さんとふたりきりになって横に並んで話した気もする。でも、もしかしたら本当はそんなことなど何もなくて、自分が都合よく作りだした記憶かもしれない。

「ぼくら、ずいぶん来なかったよね。前はさ……もっとここにも来てたと思うし。母さんひとりの時もあったんでしょ」

「そうだね」

「母さんは最近忙しいから」

「忙しい？どうして？」

「最近新しく彼氏ができたんだ」

「へえ、そうなのか。それは良かったじゃないか」

「もしかしたら再婚するかもしれない。そうなったら、母は向こうの……ワタナベっていう苗字になるけれども、ぼくと弟とは好きな苗字を選んでも良いって」

　彼は微笑んだ。この微笑みに違和感を感じて仕方がないのだが、ぼくは彼の返事を待つ。不思議な気分だ。どうしてぼくの方がいま泣き出しそうになっているのだろう。

「菜摘も、その新しい恋人の人も、タクトの意志を尊重してくれているんだね。それはよいことだと思うよ。もう中学生だし、君は自分の苗字も自分で選んでいい歳だもの」

「どっちを選べばいいかわからないよ」

「タクトの好きな方でいいんだよ」

「それが分からないんだよ」

　ぼくはそんな答えなど期待していない。ここに来るまで、ふたりきりなら、彼ともっといろんなことが話せると思っていた。けれどもすぐにそれが間違いだとわかった。ぼくが何かをいうたびに心の中で考えていたこととはどんどんずれていくのだ。

　ぼくはもっと話せるはずだった。伝えられるはずだった。家に帰っても父さんがいないから張り合いがないこと。母さんが疲れて機嫌が悪くて弟にきつく当たっているとき、ぼくはなにもしてあげられないこと。弟がもしかしたら普通の子とはちょっと違っているかもしれないこと。そしてぼくらは、本当はもう父さんがいない状態でやっていかないといけないこと。物事はもう子どもではどうしようもない感じに、どんどん流れて、変化してしまっていること。

　母さんはこんなものを本当に信じていたのだろうか。こんなものを相手に本気で喜んだり、心を打ち明けたりしていたのだろうか。いや、逆だ。内心では信じていなかったから来なくなったのだ。どこかで母は心の中でけりを付けたのだ。ぼくはそんな母を責めたいけれども、母が強くない人だということも知っている。あの人は誰かに頼っていないと生きていけない人なのだから。父さんが亡くなってから、今までひとりでずっと頑張っていたのだ、あの人なりに。ぼくはそれをわかってやらなくてはいけない。

　ぼくは立ち上がって、真正面から彼を眺めた。なんだい？という風に彼が反応して顔を上げた。こうして見るとぼくらはよく似ている。まなじりなのか、佇まいなのか、とにかくよく似ていると小さい頃から言われていたが、それは本当だった。

「父さん」とぼくは言う。「何か話して」

「どんな話が聞きたい？」

「なんでもいいよ」

「では、アリスの大冒険の話をしようか。アリスは読書が大好きな女の子でした。ある晩、いつものようにアリスが本を読みながらベッドでうとうとしていると、チョッキを着た白いウサギがアリスの前を横切りました。懐中時計を手に持ったウサギは、部屋の中を走り回り、クローゼットの扉をすり抜けて行ってしまいました。アリスは慌てて飛び起きて、クローゼットの扉を開け、たくさんの服をかき分け必死でウサギの後を追いかけました。なんと、クローゼットの奥は別世界に続いていました。目の前に広がるのは雪景色で、動物たちが人間の言葉を話していました。呆然とするアリスの元に、ロバ、犬、猫、ニワトリがやってきて、『僕たちと音楽隊に入らないか？』と聞いてきました。『うん、おもしろそう！』そう答えたアリスは動物たちについて行きました。みんなで歩いていると、目の前にお菓子でできた家が見えました。ビスケットの屋根、氷砂糖の窓、チョコレートの柱、カステラの壁に、生クリームがのった煙突……みんな大喜びで中に入ってお菓子を食べ始めました。次の瞬間です。突然竜巻がやってきて、お菓子の家が気球のように空に吹き上げられ、風に運ばれていってしまいました。いつのまにか眠ってしまったアリスが目を覚ますと、お城の中にいました。そして、目の前で王様が鏡に向かってこう言っています。『鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界で一番オシャレな王は誰じゃ？』すると鏡が答えました。『あなたこそが世界で一番オシャレな王様です。特にそのシャツはとてもお似合いですよ。でも、王様はシャツを着ていませんでした』周りの家来たちも、王様の見えないシャツをほめていましーー」

「もういいよ、もう話すのはやめて」

　何かがおかしくなっている、とぼくは思う。喪われた人の抜け殻と、こんなふうに話しあうことはきっと不自然なことなのだ。当たり前のことだ。本当の父さんはもう死んでしまって、ここにはいないのだから。でも、どうして大人たちはこのおかしさをちゃんと見ないのだろう。取り繕うようなことをするのだろう。

　いつの間にか父さんはまたもとの表情に戻っていた。手を少し丸めて、中指の爪先を自分の口元にもっていきながら、棚の上の観葉植物を眺めていた。その爪を噛む姿を見たとき、ふとぼくは思い出した。

　風の冷たい冬の日だった。学校の帰り道にたまたま帰宅途中の父さんと一緒になった時があったのだ。駅から家まで一緒に歩きながら、公園の前を通ったとき、ふと空に目をやると星が見えた。あれオリオン座だよね、というと父さんはうなずいた。でも、ぼくはオリオン座よりも、その足元あたりで濡れたようにチカチカと光る青い星が気になった。

「あれは何の星？」

　ぼくがそう訊ねると父は中指の爪をかみながらしばらく考えていた。

「なんだったかな？ええと……アンタレスじゃなくて……そう、シリウスだ。おおいぬ座のシリウスだ」

　そんなのはなんでもない記憶だ。

　けれども、目の前の父さんが同じような振る舞いをみせたので、それが虚像だとわかりながらもぼくは一瞬気持ちが揺れたのだった。

　ぼくは父さんのそばに座り直した。ぼくの体重のぶんだけソファがぎゅっと沈み込んだ。隣の父さんは偽物だとぼくはもう一度自分に言い聞かせた。父さんはあんな風にアリスの話をしない。学校の成績が下がると、将来困るのはお前だぞ、と意地悪い言い方をしてくるのがぼくの父さんだった。昔弾いていたというギターを触らせてくれて、でも、すぐに自分で弾きたくなってぼくからギターを取りあげる人が父さんだった。酒を飲むとすぐにリビングのソファで横になって、いびきをかいて眠ってしまう人が父さんだった。

　思い出は不思議だ。それは理屈ではなく、こちらにはどうしようもなく、どこかから不意に湧き上がってくる感覚だ。いつかそれをぼくは先生に尋ねてみようと決めた。なぜ人間には思い出があり、それはぼくの感情を揺らせてしまうのか。

「父さん」とぼくはもう一度父さんを呼ぶ。「父さんに触ってもいい？」

　父さんは聞こえないふりをした。

　構わずにぼくは父さんに手を近づけようとする。隣の父さんのシャツの肩に手を置こうとするが、ぼくの手はそこですっと透ける。こんなにもリアルで、視覚だけでは全く区別がつかないほど再現されているというのに。接触はできないのだった。

　かっとなってぼくは叫んだ。

「嘘つき！偽物！お前は父さんじゃない。こんなの誰かが作った単なるデータだ。本当のお父さんはもうぼくのことを思い出しもしないし、もういない。こんな風に喋ったりすることは間違ってる！」

「全然間違ってないよ。むしろ、こうして何かを相談したり、確認したりするってとても自然なことだし、大事なことだと思う。何かタクトが変に思うことがあるのかな。よかったら教えてくれないかな」

　父さんは穏やかな微笑みに戻って言う。

　その日の夜、ぼくは弟の部屋に入った。母は図書館員と一緒になにかしらのイベントに行っており、まだ帰ってきていなかった。弟の部屋に入ると、ぼくが出ていったときと全く何も変わっていなかった。弟はパソコンの画面に向かってキイを叩いたり、カーソルを動かしながら何かのプログラムの動作を試していた。

　こいつはどうしてこんな奴なんだろう、とたまに思う事もあるけれども、それは弟がそういうやつだからであって、それをぼくがどうこうするつもりはない。母さんもきっと彼氏ができてからは、以前よりも弟の事を大目にみるようになったと思うし、つまりはこれで今のところのぼくらは結構うまくいっている。

「なあ、いまいいか？」

「なに？」と弟は視線を画面に向けたまま答えた。

「おまえさ、前に言ってたよね。その気になったらプログラムを壊すウィルスぐらいなら作れるって」

「もちろんプログラムによるけれどもね。ランサムウェアとかはだめだよ」

「そういうのじゃないんだ」とぼくは言う。

「じゃあなに？」

　少しためらったけれども、ぼくは言った。　

「〈再会センター〉のプログラムに侵入して父さんを消せるような、そんなものが欲しい。父さんを消したい。一時的に消すんじゃなくて、蓄積したデータごと完全に消去して、もう二度と誰も父さんを復活できないようにして欲しい」

　それを聞いても弟は別に驚いた様子も見せなかった。彼は手をとめて、大人っぽく椅子をくるっとぼくの方に回転させると、まっすぐにぼくを見た。

「兄さんは父さんを消したいのか」

「うん」とぼくは答えた。

　一度口に出してしまえば、あとはもう気が楽だった。ぼくは弟に全部伝えた。この前〈再会センター〉でみたスーパーコンピュータのことや、いつ行っても少ない職員で運営されていることや、管理室に通じるドアが今日も開いたままだったことなどだ。

「でも消すって言っても、そんなに簡単じゃないよ」少し考えながら弟は言った。「システムを動かすサーバーやプログラムを止めるのか、学習済みモデルを初期化するのか。しかも、多分だけど〈再会センター〉のシステムって単一じゃなくて、クラウドとかで分散管理されてる可能性が高いと思う。そうなったら兄さんがいう『全部消す』ってのはなかなか難しいよね。もし兄さんが言うように、ぼくらがセンターに行って、そこのローカルシステムに入ることができたとしても、アクセス制限と監視ログは絶対に厳重だ。それに、仮に消せたとしても、確実にバックアップはされてるから、すぐに復元される可能性もあるよ」

「それでもなんとかできる方法はないかな」

　ぼくらは弟の部屋の中で語り合った。なんだか自分たちが小さな子どもに戻った時のようだった。父と母がテレビを観ている隣でカードゲームをしていたり、旅行中の新幹線で、隣り合わせになって一緒にお話を作ったりして遊んでいるときのように。たわいもない遊び。空想の世界に遊ぶようなものだが、違うのはぼくらはもう行動を起こせるほどの年齢になっているということだ。

「父さんを別の人にする、ってのはどうかな」と弟は言った。「システム内部に手を加えるんじゃなくて、ぼくらが偽の情報を流し続ければ、きっとアレは似ても似つかないものになるよ。まだそっちの方が楽だけどね」

「それじゃだめだ」とぼくは言った。「父さんのデータが全部消えないと。見た目も、考え方も、父さんらしいものはもう全部無くなってほしい。ただセンターのシステム全部を消すのは絶対にダメだ。消してていいのはぼくらの父さんだけだ」

「もういっそ、母さんに言って、センターの父さんを消去してもらった方が楽なんじゃないかな。申請すればそれできるでしょ？」

「あの人は、父さんが消えてしまうのは耐えられないよ。たとえ会いに行かなくなったとしても、父さんには居て欲しい、と思うに決まってる。お前にはわからないかもしれないけれども、ワタナベさんとだって、いつどうなってしまうか分からないもの。そうなったら、また母さんは父さんのところに戻ると思う。母さんだって、その可能性は考えてるよ」

「じゃあどうしようかなあ」

　弟はそう呟きながら、机の上にひじを立て、手で頬を押さえた。その姿勢のまましばらく視線を宙に向けていた。なんとなくその姿は見覚えがあった。

「やってみるよ」と弟は言った。「でもね、これってきっと犯罪なんだよ、兄さん」

「うん、わかってる。その責任は全部ぼくが引き受けるよ」

「いいさ。ぼくだってあの父さんは好きじゃなかったもの」

　だいぶ経ってから、ふとあのデータ上の父さんのことを思い出した。まったく何の関連もなく、その記憶が唐突に頭の上に降りてきたのだった。ぼくは仕事の最中で、ちょうどトラックの荷台からダンボールを運び出している最中だった。高校を卒業してすぐに、ぼくはこの引っ越しサービスの仕事に就いた。母の親戚の伝手で雇ってもらえることになったのだ。世界がどれだけ便利になろうとも、人は移動するわけで、指定された部屋に荷物を運ぶ仕事は変わらない。

　仕事の給料も決して高くは無かったし、これからものすごく上がる見込みもなかった。同級生たちのように大学を出て企業に就職することができなかったのは、自分がそれだけのことをしたからだ。でも、そのこと自体は納得している。

　引っ越しはひとが思っている以上に専門性が要求される。時間を意識しながら荷物を効率よく運ぶには、チームの人数を鑑みながらかなり慎重に計算することが必要になってくるし、ピアノやベッドなどの大型家具を二階や三階に運ぶときは技術が要る。もし玄関口を通らなかったり、階段が狭すぎれば、ベランダの窓を外して、つり下げて入れなくてはいけない。こういった経験は、仕事の中で先輩から教えてもらったもので、今はぼくがそれを伝える役というわけだ。

　とりあえず与えられた仕事を丁寧にこなして、一日を終える。そんな日々を続けているうちに七年が過ぎていた。年齢的にはまだ若いが、業務的にはそこそこの中堅になりつつあるし、五人チームのチーフになることも増えた。

　仕事自体には不満もない。ないはずなのだが、ときどきエアポケットに入りこむように、自分の内側から疲れてしまうときがあった。何かが物足りないけれども、それが何か分からなかったり、突然自分に劣等感を持ってしまったりすることがあるのだ。

　自分の人生に逆転を起こしたかったら、失敗する危険も含めて何か新しくはじめるぐらいしか道は残されていないように見えたが、じゃあ何をするのか、という答えは全く見えないのだった。そういう出口のない憂鬱がやって来ては、また日々の仕事のなかにまぎれて忘れてしまう。

　その家は長めの坂の上にあり、しかもややこしいことに道幅の狭さのせいで家の前にトラックを駐車することができなかった。ぼくらは坂の下に一旦トラックを停めて、そこから大型の荷物だけを先に運び込むことにした。一緒に働くスタッフの子達はみんないいやつで、今日の作業はどれも予定通りに進んでいた。

　暑い夕方だった。依頼客は若い家族で、ぼくよりも少し上の世代の夫婦と子どもが二人だった。彼等はこんな盆の時期に引っ越しを依頼したことに、申し訳なさを感じているようだった。ぼくらが休日返上で仕事をしていると思っていたようだったが、実際のところは、この時期の引っ越しはそこそこある。

　ぼくはスタッフとふたりで冷蔵庫を運んでいた。熱波が背中を舐めるなか、ぼくらは腕に力を込めて、リズムを意識しながら坂道を登っていた。帽子の庇の先に見える風景は、白く反射して眩しかった。明日は八月十六日で、その日ぼくは休みをとって、このチームの仲間と一緒に花火大会に行く予定だった。去年もそうだった。そして今年もそうで、もしかしたら来年も同じことをしているかもしれない。

「坂長いし、ここちょいキツいっすね」と、冷蔵庫の向こうからスタッフの彼が呟いた。

「一回休憩入れる？」

「いや、平気っす。そっちどうっすか？」

「大丈夫」

　アリが食糧を運ぶように、ぼくらはジリジリと坂道を進んでいく。一瞬力のいれどころを間違えて頭がふらつきかけたが、気を取り直してぼくは冷蔵庫を無事に運び込んだ。大きな山場はこれで越えた。

　そのときの引っ越しが、三つあるうちの最後の現場だった。すべて運び終えると、あとは終了のサインをもらい、あとは本社に報告して今日のぼくの仕事は終わる。

　スタッフはみな機嫌が良かった。無事に仕事を終えた充実感で、ぼくらは明日の花火大会についてあれこれと冗談を言い合った。その活気付いた車内のなかで、ぼくは後部座席のシートにもたれながら、なんとなく風景を眺めていた。

　考えていたのは少し前のことだった。冷蔵庫を運んでいるとき、ふとその記憶が降りて来たのだった。それで身体のバランスを崩しかけたのだ。それは亡くなった父さんではなく、データ上の彼の記憶だった。

　あの日、最後に会ったとき、彼は言った。

「タクトが何をしようとも、タクト自身が納得できていればそれでいいんだよ。きっとね、生きるということには正解も不正解もない。お前が望み、お前が選んだものが自分を創るんだし、そこにはきっと意味がある。だから選んだことを後悔して不必要に悲しむ必要はないよ。これは約束みたいなもんだ。苦しくなったとき、ふと思い出してくれれば、それだけでいい。お父さんはひとりでも平気だし、タクトの歩く道をここでずっと見てるよ。さあ、気をつけておかえり」

　それだけだ。

　これはそれだけの話だ。

August 15 is here and my mother is busy in the morning. She woke up earlier than the rest of us and started getting her hair done in the morning. When we woke up, the living room was filled with the smell of her hair oil and cosmetics. The reason why my mother is getting ready much more carefully than usual is because today is the day she is going to see her boyfriend.

　It is the anniversary of the end of the war. An automated newscaster on the TV screen was telling us that today was the tenth anniversary of the end of the war. No matter which channel I turned to this morning, all I could hear was Emperor Showa's Gyokuon-broadcast.

　Aunt Sumire, who never came to see him that often, had been crying by his bed when he finally became critically ill. She covered the bed as if she was going to eat him and wouldn't leave him, so we, the family, were more like guests standing by her side.

　He was no longer responding to the anesthesia, probably due to the painkillers. Perhaps he is looking at another world. His skinny body smelled of sweet, putrid urine, but we had been waiting in this room for hours and were so used to it that we did not even notice that he was incontinent.

　In the afternoon, as everyone watched, he let out a deep breath. Then he turned his eyes around and stopped moving. That was the end. That was our August 15th. Outside the window of the hospital room, cicadas began to chirp in unison as if they had been released.

　I finished my breakfast slowly, remembering that a year had passed since then. My mother, who was drawing her eyebrows in front of the mirror, noticed and urged my brother to finish his breakfast.

She was drawing her eyebrows in front of the mirror when my mother noticed and rushed her. If you want something to eat, finish brushing your teeth and changing your clothes first.

　On the way there, my brother asked me a strange question on the train. He told me that he had found a picture book at the children's museum the other day that he didn't understand the meaning of.

Do you remember the sentence? He turned his eyes in the air and traced the words in the air.

He turned his eyes in the air and traced the letters in the air. Sora nihajiga kakatte imashita."

　Then he asked me, "What is ‘tamashii’? he asked me.

　The train moved slowly. My mother was asleep in the seat across from me with her eyes closed.

You know, in the olden days, people thought there was a soul inside the body. It's like a fluffy balloon. They believed that when a person died, only the soul would escape.

I know about that," my brother said. 'Egyptian mythology. After you die, you either go to heaven or hell. The kids have kind of grown up.

　He is surprised (or pretends to be) that I am now in junior high school and my younger brother will soon be eleven, to which I do not respond. As for my brother, he is not even interested in him. He sits down on the appropriate sofa, opens the screen of the tablet he brought with him, and starts watching videos on his own. Recently, videos of the production process of printed circuit board mounting have been his favorite, but he also watches programming stuff, computer disassembly videos, and other things like that all the time if left alone.

　While my mother prepares tea, I walk around the room and check things out. Just as if I had just left on a trip and arrived at the hotel room where I was staying. I open the shelves, check the firmness of the sofa, take out a juice from the refrigerator, and sip from a plastic bottle, even though I don't really want to drink it.

　I prepare two cups of tea in a teacup and set them down in front of him, then my mother notices and laughs. She might have been serious, but her gesture seemed to be some kind of trivial joke.

I'm sorry," she said. I prepared something for you, too.

Thank you. That's hojicha, isn't it? No? I'll have it later.

　Then the time between my mother and him began. This time was a little uncomfortable for me. The expression on my mother's face and the manner in which she spoke with him were something I had not seen even when my father was alive, and it made me feel uncomfortable. When Dad was still alive, my mother would have called him “Dad,” but before I knew it, I realized that she was calling him by his name.

The other day,“ she said, ”I was listening to music on the way home from work, and the song we both happened to be listening to came on. That doesn't happen often. Do you remember it? The song was called “Circle.” Takuma told me about this one."

　He nodded. I smile (I motion for him to look happy) as I lean back and say I remember it.

Yuzuki said, "As Yuzuki said, there are still many difficult aspects when you change jobs at your age. My boss is an unfriendly person who won't teach me anything, but I'm doing my best. If I don't understand something, I can just ask him myself.

“Yuzuki-san, right ......, what are you doing now?”

I've been working for a medical publishing company for a long time. Didn't you tell me that before?

“Oh, yes, that's right.”

I met Takuma once, too. Takuma met him once, too, when we were going to the cinema together on the train.

Yes, I remember.

　From the outside, it would appear as if they were a close family relaxing in a room somewhere. But there is one crucial difference: Dad is already dead, and the man we see in front of us now is nothing more than the data that was transferred before his death.

　A real father might notice our child's mood swings and change the subject to something else. However, the artificially intelligent father does not notice us and continues his conversation with my mother. He is gathering information from my mother's story and accumulating memories to make the conversation more natural.

　This artificial intelligence is clever. It never forgets, but acts as if it has forgotten in a very natural way. The mother repeats the story again, unaware of it, and the data is reconstructed more accurately. I want to punch whoever invented this thing. He must be smiling at my mother right now.

　And she probably accepts it. She probably accepts her father as an extension of her.

At least when I was born, there was no such custom. Somewhere along the way, the service of backing up the dead began to appear among adults, and from there the way of visiting graves began to change. Rather than standing in front of a gravestone with a name engraved on it, it is better to actually meet the deceased, which eases the grief. This new custom may have met with some resistance at first, but as more and more people began to accept it, it soon became the norm.

The Reunion Center recreates the dead based on the data that remains after death. Some photographic data of daily life is all that is needed, and video recordings are the best. It is said that a person's personality is expressed by what he or she buys and uses, and if there are handwritten notes or favorite items, the resolution of the reproduction will be even higher. The technology used to reproduce not only the appearance of the father, but also the way he speaks and the habits of his movements, is so impressive that it is almost as if the father in front of me is really alive.

　My mother never complained when she was at home with us, but during the hour and a half of the visit, she sat in front of him for most of the time, talking about herself. She must be my mother, and she must have something on her mind about her new job. I guess working as an adult is more stressful than that, so much so that she has to let her pent up emotions out somewhere to find a balance.

But I'll do my best. It can't be helped. Takuma, you have to support me, too.

　In front of him nodding her head, his mother repeatedly clenched and opened her thin hands so tightly that the color of her fingertips changed. My mother's thin bones, like those of a bird, floated on the back of his hand.

　My brother kept his eyes on the tablet the whole time. The light from the tablet's screen glinted off his cheek, but he remained focused on his chair, not changing his posture at all. It was as if he were some kind of figurine. I looked at the houseplants in the room and tried twice to talk to my mother, but I soon got bored and quietly left the room. I had been drinking so much juice that I felt the urge to urinate.

　The hallway of the center was just as timeless as when I arrived. I stroked the milky-white wallpaper, which was pleasant to the touch, and made my way down the corridor, stepping on the lights that were dotted on the plaid carpet.

　Even after I finished my business in the restroom at the end of the corridor, it was still going to be about half an hour before it was time to go home. Normally, I would have gone out into the hallway and returned to my room, but I suddenly decided to go to the other side of the hallway. I continued on through the same scene, with room number plates on both sides, and eventually came to the end of the corridor. There was an unadorned gray door, separate from the visiting room. I put my hand on the knob and the door opened effortlessly, and suddenly the world changed.

Beyond the door was a bare concrete wall. The lights were dimmed, and at the end of the dimly lit passageway, I saw a room surrounded by glass.

　At first, it looked like a room surrounded by black walls, but I soon realized that I was wrong. What I thought were walls were supercomputers connected on all sides. Green and red lights blinked regularly in the large hard disk. This equipment must be very important for this facility, but it was quite careless in terms of security. The glass doors to the computer room did not even have locks. I looked closer at the computers under my breath. I felt as if I were in front of a large creature.

　The way the parts of the computer were arranged in a black box, working in a regular pattern, reminded me of the cells I had seen at school. The whole thing was a large mass, but each one made a low, vibrating hum as it continued to process something. The dead in this facility are controlled by these computers.

　I did not touch the aircraft, and in fact, I must have been there for only about five minutes. I quickly left the room and ran through the dark corridor back to the visitors' hallway where I had been. It was only then that I noticed a plaque above the door I had casually opened that read "No Entry Except by Authorized Persons. It was written in such large letters, but I had not seen it at all.

　When I returned to my room, my mother seemed to be about to finish her conversation.

Tact? Where have you been? I'm going to go home soon.

No," I replied, standing in front of him.

I stood in front of him and said, "No, thank you. Do you know what my mother's perfume is today?

　I could see the look of disgust on my mother's face.

　He did not reply. The vague expression on his face changed only slightly as he smiled.

　After fifth period history class, I stuck with my teacher and asked him a question. He stopped in front of the hallway with his checklist clutched to his chest.

Hmmm, soul," he growled.

'I thought you were the only one who would ask me something like this.

What Tact wants to know is, do we really have a soul?

Yes.

You know, it was not so long ago that it was discovered that the soul is not something that exists in human beings. In medieval Europe, it was believed that God existed. God was the center of the world, and the human soul was God's domain. Everyone believed that when people died, their souls went to heaven. But with the onset of modernization, people no longer needed God. Rather, the role of God has changed. What happens to people's souls when that happens? Because until now, they were supposed to end up in heaven, the Pure Land, hell, or whatever, but where are they supposed to go?"

I don't know. It seems to make more sense to think that there is no such thing as a soul in the first place.

Yes, there are more and more people who think that way. Or the structure is the same as that of God's time. It might be better to say that both God and the soul are no longer absolutely natural, as they used to be thought, but belong to some people who believe in them.

No soul." Then what did people believe in instead?"

That's it. From that, people thought like this. Even if there is no God and no soul, people believed that there is an “I.” There is a term called "depth psychology. There is a word for it, like the depths of the psyche, but I thought that the real “I” existed somewhere. Well, I have always had a personality that existed. I have been denied recently.

　At this point, the chime sounded. Neither the teacher nor I realized that recess had ended before we knew it. The teacher hurried back to the staff room and came back to prepare for the next class. I followed him and continued our conversation as we walked.

　The teacher said, "I just heard the chime.

The teacher said, "We are in a hurry because the chime has just rung. The reason is that there are rules that say teachers and students must be on time for class, and we are almost subconsciously following these rules. I think this is what personality is all about. I think this is what personality is: a pattern of behavior in response to outside information. In fact, the five-year-old you is not the same person as the five-year-old you is now, is he? And when you get older, ...... for example, you can imagine that the tact in 50 years from now will be almost a different person from now, right? I'm sure you'll see a different pattern of behavioral reactions then. In short, people keep changing. Nothing is the same. In fact, the only thing that people have in common is their name.

So, when you resurrect a dead person, as you are doing now at the Reunion Center, you are recreating the pattern of the person when they were alive?

　I like this teacher. For example, when I talk about dead people, the other teachers seem to flinch a little, because they know about my father. They don't want to go into it. They don't want to go into it. They are afraid I will get hurt too much. More importantly, they don't want to have to deal with complaints from my mother, not from me personally. But I was glad to see that this social teacher did not show any such attitude. Maybe he is just slow, but I don't care.

I'm sure that's the case. The sense of “I” that we are feeling now as we talk about this will probably disappear after death. The five senses will no longer function even if we try to feel, and the brain will no longer be able to remember even if we try to remember. If we were to redefine “soul” in this sense, it might be something like the sensations we feel with our five senses right now. However, if the person's behavior pattern is backed up, it may be possible to reproduce it to some extent. In that sense, it is possible to continue living. It sounds strange, doesn't it? Well, how much information about the person at the time of his/her life can be absorbed and processed, and the personality will change accordingly.

Words?

You know, there is a quote from a great man: "A man should forgive his enemies. There is a great man who said, "One should forgive one's enemies. But only after the enemy has been hanged. Words express a person's thoughts, but in a sense, they are also a device to regenerate a person's personality. People try to preserve the personalities and images of the dead who are disappearing and leave behind books, portraits, sculptures, and so on. I think the backups of today are highly realistic. But in essence, it is not the person who died. There is plasticity, but not variability.

“Plasticity, changeability?”

People change. The most important thing to remember is that the backup memory is not the same as the person who died. But I don't think backed-up memories can change that much. That is its weakness. In other words, if you take it to the extreme, it still can't be called an individual in that it fits within the expected personality. Artificial intelligence may be able to provide more information about the people around him, but it will not be able to make him a wiser and more experienced old man than he is now, like Tact will be in fifty years. Isn't that the point?"

　After he told me about “change,” I changed my mind a little. I began to think that perhaps the creators of the “Reunion Center” system knew that it was not intended to create a relationship that would last forever, but only to temporarily ease the sadness of losing someone close to you.

　People change and get used to everything. For a few days after returning from the center, I was terrified that I might be contacted for trespassing. But when I found out there was nothing there, I was fine. During the next two months or so, our surroundings changed even more.

　My mother had a boyfriend. She stopped talking about him, started playing music she normally didn't listen to, and started coming home late. One weekend, we finally decided to have dinner with him at a Chinese restaurant.

　He was a middle-aged man with a blue beard and weepy eyes. He said he worked at the city library, and he certainly looked like that. He was the kind of adult whose only selling point was earnestness, the kind of adult who spends his entire day behind the computer in the back of the unter.

'I hear you,' the librarian said. 'Tact, you're good at math, aren't you? If you want to go to K High School, I might be able to help you. It's nice there, isn't it? It has a university, so you can go up the escalator all the way to K High School, and it's good for getting a job. As a matter of fact, I know someone who went there, and he is now a bank manager.

　I felt my ears prick up when I saw my mother's expression of surprise next to the man's, and I continued to tap my glass of water on the table. I wanted to slam the glass of water on the table. I had never told anyone but my mother that I wanted to go to K High School. It was a private high school, so money was an issue, but it was also not a school that I could afford, given my current grades.

　I guess they knew that I would be in a bad mood, but my turn to talk was over, and the waiter started to serve us plates one after another.

　It was a bad start, but the librarian still had his good points. He didn't mock or ignore my brother when I asked him about him. In fact, he even praised him.

No,“ he said, ”maybe he has a special talent. People who are exceptionally good at something don't always walk in the same footsteps as the rest of us.

　Steve Jobs, Picasso, Gallois, Camille Claudel, Kumagusu Minakata, etc., the librarian kept naming names of people I did not know and telling me how special they were, how original they were. Even though I did not understand the specifics, I knew that he was trying to acknowledge my brother, and I felt a little forgiven.

　A week after that dinner, my brother received a gift from the librarian. It was a top-of-the-line laptop computer, which my brother had wanted. It was a pair of black leather shoes, which were quite inappropriate for me.

　It was not so difficult for me to go to the reunion center by myself. It was more a matter of how I felt. Nervous, I changed trains and walked up a long hill in a residential area on the way to the center. It was already winter. My breath was cloudy white as I walked up the hill. I had made up my mind when I left home, but when it came time to enter my name at the reception desk, I still felt lost, wondering if this was a good thing for me or not.

　This time I was in room 611. I don't know how it happened, but the things in the room were the same, only the location was different.

　There he was. He was dressed differently from the last time I saw him, but I recognized the clothes. It was a collarless capri shirt, the same color as the one my father used to wear on his days off.

I remembered that my father used to wear this shirt on his days off. Are you alone today, Tact?

Yes," I answered. How long have I been gone?

"Well, I don't know.

You really remember, don't you? You really do remember, don't you? I really want to know.

Three months and nine days.

How many days?

Ninety-nine days," he answered promptly.

　Today, I sat down alongside him on the sofa. He turned his face toward me with a serious expression on his face.

　I watched him for a while without saying anything. He moved his shoulders and stomach up and down gently in time with his breathing. Sometimes he changed his posture or blinked.

I feel like this happened a long time ago. When I made a mistake and my mother got angry with me, I remember being alone with my father and talking side by side. But maybe nothing like that really happened, and it was just a memory that I made up for my own convenience.

We haven't been here for a long time, haven't we? I think we used to come here more often. There were times when you were alone, weren't there?

Yes, I did.

Mom's been busy lately.

Busy? Why?

She recently got a new boyfriend.

Oh, really? That's great.

Maybe she will get remarried. If that happens, my mother will take the surname ...... Watanabe, but my brother and I can choose any surname we like," he said.

　He smiled. I can't help but feel uncomfortable with this smile, but I wait for his reply. It is a strange feeling. Why am I on the verge of tears right now?

I am not sure why I am crying right now, but I am feeling strange. I think that's a good thing. You are already a junior high school student, and you are old enough to choose your own last name.

I don't know which one to choose.

You can choose whichever you like.

That's what I don't know.

　I don't expect you to answer me like that. Before I came here, I had thought that I could talk with him about many things when we were alone together. But I soon learned that I was wrong. Every time I said something, it was more and more out of tune with what was going on in my mind.

　I should have been able to talk more. I should have been able to tell him. I should have been able to tell her that I had no motivation to go home because my father wasn't there. That I couldn't do anything for my brother when my mother was tired, in a bad mood, and harsh with him. I knew that my brother might be a little different from ordinary children. And that we really have to make do without my father. Things have moved on and changed in such a way that it is beyond a child's control.

　I wonder if Mom really believed in this stuff. Did she really rejoice and confide in them? No, on the contrary. She stopped coming because she did not believe in them. Somewhere along the way, my mother had come to an end in her heart. I want to blame my mother, but I also know that she is not a strong person. She is a person who cannot live without relying on someone else. Ever since my father passed away, she has been trying her best on her own, in her own way. I have to understand that.

　I stood up and looked at him from the front. What is it? He looked up at me. We looked very much alike. I had been told since I was a child that we looked alike, whether it was our eyebrows or our appearance, and it was true.

Dad," I said. Tell me something.

What do you want to talk about?

Anything.

'Well, let's talk about Alice's great adventure. Alice was a girl who loved to read. One night, while she was dozing off in bed with a book as usual, a white rabbit wearing a vest crossed her path. Holding a pocket watch in her hand, the rabbit ran around the room and slipped through the closet door. Alice jumped up in a panic, opened the closet door, and frantically chased after the rabbit through her many clothes. To her surprise, she found that the back of the closet led to another world. A snowy landscape spread out before her eyes, and the animals were speaking human language. A donkey, a dog, a cat, and a chicken came to Alice and asked her, "Would you like to join the band with us? They asked her, "Would you like to join our musical band? Yes, that sounds fun! Alice replied, and followed the animals. As they were walking along, they saw a house made of sweets in front of them. It had a roof made of cookies, windows made of glacial sugar, pillars made of chocolate, walls made of sponge cake, and a chimney topped with whipped cream. ...... Everyone was so happy that they went inside and started eating the sweets. The next moment. Suddenly a tornado came and the house of sweets was blown up into the sky like a balloon and carried away by the wind. Alice, who had fallen asleep before she knew it, woke up to find herself in a castle. The king is standing in front of her, looking into a mirror and saying, "Mirror, mirror, mirror. Mirror, mirror, mirror. Who is the most fashionable king in the world?' And the mirror answered. You are the most fashionable king in the world. You are the most fashionable king in the world, especially in that shirt. But the king had no shirtーーー

“Okay, stop talking already.”

　I think something has gone wrong. It must be unnatural to talk like this with a shell of a mourned person. It is natural. My real father is dead and no longer here. But why don't the adults see the strangeness of this? Why do they try to make up for it?

　Before I knew it, my father's expression had returned to normal. He curled his hand slightly and brought the tip of his middle finger up to his mouth, looking at the houseplants on the shelf. When I saw him biting his fingernail, I suddenly remembered.

　It was a cold winter day. I happened to be on my way home from school with my father, who was on his way home. As we walked from the station to home together, we passed a park and I looked up at the sky and saw a star. I said, “That's Orion,” and he nodded. But I was more interested in the blue star that was shining wetly near his feet.

What star is that?

　I asked him. He chewed on his middle fingernail and thought for a moment.

What was it? It's not ...... Antares, it's Sirius, in the constellation Canis Major. Sirius in the constellation Canis Major."

　That's nothing.

　But when I saw my father in front of me behaving in the same way, even though I knew it was a false image, my feelings were shaken for a moment.

　I sat back down beside him. The sofa sank down as much as my weight. I told myself once again that my father was a fake. He never talked about Alice like that. My father used to say to me in a nasty way, “You're the one who's going to be in trouble in the future,” when my grades were low. My father was the one who let me play the guitar he used to play, but then took it away from me as soon as he wanted to play it himself. My father was the one who, after a few drinks, would immediately fall asleep on the sofa in the living room, snoring away.

　Memories are mysterious. It is not a logical feeling, but a feeling that comes up unexpectedly from somewhere without our being able to control it. I decided to ask my teacher about it someday. Why do we have memories and why do they upset my emotions?

Dad,“ I called him again, ”can I touch you? Can I touch you?

　He pretended not to hear me.

　I try to put my hand close to his, but he pretends not to hear me. I try to place my hand on the shoulder of his shirt next to me, but my hand is transparent there. I could not make contact with my father, even though the image was so realistic that I could not distinguish it at all with my eyes alone. I could not make contact with it.

　In a fit of anger, I shouted.

Liar! You're a fake! You are not my father. This is just data created by someone else. Your real father doesn't remember me anymore, and he's gone. It's wrong to talk like this!

It's not wrong at all. It is very natural and important to discuss and confirm something like this. I wonder if there is something that tact thinks strange. If you want, you can tell me."

　Dad returned to his gentle smile.

　That evening, I went into my brother's room. My mother had gone to some event with the librarian and had not yet returned. When I entered his room, nothing had changed at all since I left. He was tapping away at the computer screen, moving the cursor around, trying out the operation of some program.

　Sometimes I wonder why he is the way he is, but that is because he is the way he is, and I am not going to do anything about it. I am sure that my mother has come to tolerate my brother more than before since he got a boyfriend, and in other words, we are doing quite well.

Hey, is this a good time?

What?" I said, keeping my eyes fixed on the screen.

You said it before, didn't you? You said before that if you wanted to, you could make a virus that would break a program.

Of course, it depends on the program. Ransomware and the like are not allowed.

Not like that," I said.

I said, hesitating for a moment.

I want something that can hack into the Reconciliation Center's program and erase my father. I want to erase him. Not just temporarily, but I want to erase all of his accumulated data so that no one will ever be able to bring him back.

　The younger brother did not seem surprised to hear this. He stopped what he was doing, spun his chair around to face me in a grown-up manner, and looked straight at me.

Do you want him gone?

Yes," I answered.

　Once I had said it out loud, the rest was easy. I told him everything. I told him about the supercomputer I had seen at the Reunion Center the other day, about the fact that the center was always run by a small staff, and about the fact that the door to the administration office was still open today.

But it's not that easy to turn it off," my brother said, thinking for a moment. "Is it a matter of shutting down the servers and programs that run the system, or initializing the learned models? And, maybe, but I think there's a good chance that the Reunion Center's system is not a single system, but is distributed and managed in the cloud or something. If that is the case, it would be very difficult to “erase everything” as my brother says. Even if we could go to the center and enter the local system as you suggest, access restrictions and monitoring logs would be very strict. And even if we could erase them, they are definitely backed up, so there is a chance they could be restored immediately.

Still, there must be some way we could do something.

　We talked in my brother's room. It was as if we were little children again. It was as if we were little children again, playing card games next to our mother and father watching TV, or sitting next to each other on the bullet train during a trip, making up stories together. Playing in a silly way. It's like playing in a fantasy world, but the difference is that we are now old enough to take action.

How about we make him someone else," my brother said. If we keep feeding it false information, instead of modifying the system, it won't even look like him," he said. It would still be easier.

That's not good enough," I said. That's not going to work,“ I said, ”not unless all his data is erased. I want everything that is him, the way he looks, the way he thinks, to be gone. But I don't want the entire system at the center to be erased. The only thing that needs to be erased is our father.

I think it would be easier to just tell my mom and ask her to erase my dad's data at the center. I'm sure you could do that if you applied for it, right?"

She can't stand the thought of him disappearing. Even if he stopped going to see you, he would want you to stay. You may not understand this, but you never know what will happen with Mr. Watanabe. If that happens, I think Mom will go back to you. I'm sure you're thinking about that possibility too.

What should we do then?

　The younger brother, muttering to himself, rested his elbows on the desk and pressed his cheeks with his hands. He remained in this position for a while with his gaze fixed on the air. I somehow recognized that look.

I'll give it a try," my brother said. But you know, I'm sure this is a crime, brother.

Yes, I know. I'll take all the responsibility.

That's all right. I didn't like my father either.

Much later, I suddenly remembered my father on that data. The memory came to me suddenly, without any connection at all. I was in the middle of a job, just in the middle of removing cardboard boxes from the back of my truck. I had started working for this moving service right after graduating from high school. My mother's relatives had arranged for me to work for them. No matter how convenient the world has become, people still move, and the job of moving packages to a designated room is no different.

　The salary was not high, and it was not expected to go up very much in the future. The reason I could not leave college and go to work for a company like my classmates was because I had done just that. But I am satisfied with that.

　Moving requires more expertise than one might think. Moving large pieces of furniture, such as pianos and beds, upstairs or downstairs requires skill. If the furniture does not fit through the front door or the stairs are too narrow, the window on the balcony must be removed and the furniture suspended to get it in. These experiences were taught to me by my seniors on the job, and now I am in charge of passing them on.

　At any rate, I would finish my day by carefully completing the tasks assigned to me. Seven years had passed as I continued in this manner. Although I am still young in terms of age, I am becoming a middle-manager in terms of work, and I am increasingly becoming the chief of a five-member team.

　I have no complaints about the work itself. I should not be, but there were times when I felt tired from the inside out, as if I had fallen into an air pocket. Something was missing, but I didn't know what it was, or I suddenly felt inferior to myself.

　If I wanted to turn my life around, the only way seemed to be to start something new, even at the risk of failure, but I had no idea what I was going to do. The depression with no way out would come and go, and I would forget about it as I went about my daily work again.

The house was on a long hill, and to complicate matters, the narrowness of the road made it impossible to park the truck in front of the house. We decided to park the truck at the bottom of the hill and only bring in the large items from there. All the kids on the crew were good guys, and everything went as planned today.

　It was a hot evening. The client was a young family, a couple and their two children, a little older than me. They seemed to feel bad that we had asked them to move at such a time of the year as the Bon Festival. They seemed to think we were working on a holiday, but in fact, there is a lot of moving around this time of year.

　I was with a crew member carrying a refrigerator. With heat waves licking our backs, we were climbing up the hill with our arms straining to keep a rhythm. The landscape beyond the eaves of our hats was dazzling in its white reflections. Tomorrow was August 16th, the day I was going to take a day off to go to a fireworks display with my teammates. It was the same last year. I was going to go to the fireworks display with my teammates last year, this year, and maybe next year, too.

It's a long hill, and it's a little hard here," muttered a staff member from behind the refrigerator.

Do you want to take a break?

No, I'm fine. How are you doing?

I'm fine.

　Like ants carrying food, we moved slowly up the slope. For a moment, I felt light-headed because I had put the wrong amount of energy into it, but I regained my composure and carried the refrigerator safely up the hill. We had passed a major hurdle.

　The move was the last of three. When all the moving was finished, I would get a sign that the work was finished, and then report to the head office to finish my work for the day.

　All the staff was in a good mood. With a sense of fulfillment from having successfully completed our work, we joked about tomorrow's fireworks display. In the lively car, I was leaning back in the back seat and looking at the scenery.

　I was thinking about something that happened a while ago. The memory had come to me while I was carrying a refrigerator. It was the memory that had almost knocked me off balance. It was not the memory of my dead father, but the memory of him in the data.

　When I saw him for the last time that day, he said.

Whatever Tact does, it is all right as long as Tact himself is satisfied with it. There is no right or wrong way to live. What you desire and what you choose create you, and there must be a meaning in it. Therefore, there is no need to regret your choice and be sad unnecessarily. This is like a promise. When you feel pain, just remember me, that's all you need to do. Father is also fine even if he is alone, and I will watch the path that Tact walks all the way from here. Now, take care and welcome back."

　That's all.

　That's all there is to it.