生きづらい!
普段余り意識をしないことだが、まったく生きるということは面倒くさいことである。
夜寝る、朝起きる、着替えをして仕事に向かう。色々な仕事があり、人や物事に対応して動く、そうして帰ってきて食事をとり眠る。そういった日常の雑事のなかに、希望があったり、焦りがあったり、怒りがあったり、と、まあ忙しく感情を動かせているのが普通だろう。
自分の生活も似たようなもので、もうずっと同じようなサイクルで動き続けているような気がする。朝起きたときにはいつも茶を飲むが、毎朝コップに茶を注ぎ、それを口に運んでいると、何かしらわだかまりのようなものを感じる。ああ、今日も同じだ、というような。
小説やドラマだと人は簡単に死に、人生が大きく変化するが、普通に生活しているぶんにはそんなドラマチックなことはそうそう起こらない。
SF作家ウィリアムギブスンの言葉に「平坦な戦場」というものがある。
何も起こらない平坦さもまた、人間にとっては苦になる。その平坦さの中にまた問題が潜む。
とはいえ、同じような日常が続いている、という認識自体は本当のところ錯覚で、本当に日常が意識するように同一なのか、自分の生活を録画して確認するまでもなく、そんなわけはないのである。結局、それは錯覚でしかなく、こんな気持ちは状況が変われば、もうすっかり別のものになっている。
実際のところ親が身体を壊しただとか、仕事上で大きなトラブルが発生したとか、戦争になっただとか、骨折しただとか、失恋しただとか、外的な事情が変われば、ああ呼今日も同じ、という感慨にふける余裕なんてないはずである。
しかし、である。
しかし、その状況すらもまた永遠ではないのだ。その時は波が立ったようにわっと焦っても、また物事は均衡を取り戻し、我々の生活は続く。戦中には戦中の日常生活があったはずである。コロナで世界が騒ぐ中でも、日常はあったし、見えないウィルスやら増える感染者やらに何か嫌な気持ちを感じながらも、我々は生きていたのだ。そのときにまた、平坦さが現れ、我々はまた苦痛を感じる。
生きづらさ、というのは生活上でのお金の不足とか、身体の不調だとか、そういうものを言いたいのではない。どうあれ何かしらを求めざるを得ないような、人間の精神構造自体に原因がある気がする。何もする必要がなければ何もしなくていいはずなのだ。何もないのであれば、それはそれで良いのだ。それなのに、すぐに「何か」を求めてしまう。求めることが発生すると、それに付随して意に沿わないことやややこしい問題が発生する。
たとえば自分は古本屋が好きでよく足を運ぶが、何かしら目的の本を探しに行くのではなく、棚を眺め、自分の知らない本や面白そうな本に出会いたい、という欲がその背景にある。そもそも未読の本は棚にたくさんあるのだ。(いつか読もうと思っているグレッグイーガンのハードSF小説の数冊はもう何年棚に置かれたままになっているか)つまり、自分は本を読みたいのではなく、何か新しい刺激の可能性を本によって得たいのだ。結果的に、大量の本を前に、何か後ろめたい気分になる。
携帯電話を見ながらネットショッピングで服を眺めたり、恋愛やアイドルに心をときめかしてみたり、とりあえず遠距離までドライブしてみたり(ドライブは移動ではなく、その対象に時間をかけることが楽しいのだ)、あるいはもうすこし視野を広げて自己啓発や、勉強会などの、将来の自分の為に投資したりすることなど、簡単にいうと、この退屈な場所から逃げられることを求める。
ひとは「ここではないどこか」に弱い。何かが始まるときというのは、それだけで心を惹く予感に満ちている。しかし、その予感はまだ見えないからこそ、魅力的なものなのだ。
別に何かをしなければいけない、というような命題はないだろう。生物的には「生存すること」の目的を果たしていればもうそれで終わりである。しかし、人間それだけでは物足りないのだ。それでわざわざ目的を探そうとする。
「寂しい」でもいいし「欲しい」でもいい。「このままじゃいけない」でもいいし「誰かのため」でもいい。でも、そうやって感情が向かった先で、欲しかったものを手に入れたとしても、それは瞬間的なものである。手に入れても手に入れても消える。病が癒えれば世界が明るい。身体が不自由になれば、動けるありがたさがある。でも、相対的な何かとの関係で幸福を感じるのであれば、それは本質的な答えになっていない。
そうやって何かを探し、退屈な時間と戦ううちに、このゴールのない戦いは、やがて寿命によって突然打ち切られてしまう。
目的をずっと先にとらえることは一つの解決だろう。平和活動とか、芸術活動、ガウディの建築のように、自分が生きているあいだには実現しそうにもないと分かっていながら、それに関わり続けることである種の落ち着きを手に入れる事もできるかもしれない。
でも、それ以外に何かよい方法はないものか?それが叶わない・辿りつかない、と分かっていながら進むのは何か物足りない。
さて、どうするか?この生きづらい人生を。